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		<title>fatal incident</title>
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		<description>抗えないのだ</description>
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		<title>二次元依存症</title>
		<description>　
　
　所謂アニメオタクと呼ばれる人たちは，二次元に固執などしていません。
　
　彼らにとって，二次元の中の人たちが立体でないという事は無いのです。
　確かに動画を停止して一枚の絵として見た時，そこに存在するキャラクタは平面として描かれています。停止してしまえば，例えばキャラクタがこちらに背中を向けている時，視聴者はどう頑張っ</description>
		<content:encoded><![CDATA[ 　
<br />　
<br />　所謂アニメオタクと呼ばれる人たちは，二次元に固執などしていません。
<br />　
<br />　彼らにとって，二次元の中の人たちが立体でないという事は無いのです。
<br />　確かに動画を停止して一枚の絵として見た時，そこに存在するキャラクタは平面として描かれています。停止してしまえば，例えばキャラクタがこちらに背中を向けている時，視聴者はどう頑張っても彼(女)のお腹を見ることはできません。一方三次元では勿論，自分の視点を変える事が出来るので，見たいのなら動けば何とかなります。
<br />　しかし作品全体を通して見た時，どうでしょうか。キャラクタには動きがつけられ，更に視点もよく変わります。つまり，キャラクタその物は飽くまでも立体なのですが，平面表現という制約がかかる事で可視範囲が狭められてしまった（＝簡略化された）というだけなのです。
<br />　
<br />　となると，彼らオタクが二次元に求めているものはなんでしょうか？「立体でない事」と言うのは，この理屈からすると，必ずしも正しいとは言えない様です。フィギュアが売れる事がその証左でしょう。
<br />　
<br />　答えはズバリ，双方向性の無さです。
<br />　
<br />　二次元最大の特質は，無反応である点にあります。愛した結果愛されたりとか，好きなのに嫌われたりするとかが無いのです。キャラクタ自らが能動的に，視聴者との精神的距離を決めようとする事はまず有り得ません。良くも悪くも，裏切りが無いのが二次元と言う事になります。
<br />　
<br />　こういった観念性が守られさえすれば，オタクにとっては二次元だとか三次元だとかは実際問題関係ないのです。具体的には，モーニング娘。の猛烈な追っかけを「モーヲタ」と呼びますが，ああいったアイドルの熱狂的なファンも同様に，裏切られない事を期待して一方的に愛し続けるのです。
<br />　しかしアイドルも人ですから，間違いを犯すことだってある。それを裏切りと感じるファンもいる。結果，失望する可能性がより低いアニメや漫画の世界に，オタクは飛び込んでいくのです。
<br />　
<br />　
<br />　
<br />　レスポンスのある世界には，裏切りがもちろんあります。それはとても辛い事です。しかしながら，悪い反応ばかりでは決してありません。怖がってばかりいて，傷つくのを極端に嫌っていては，現実において楽しい事なんて存在しえないのです。
<br />　
<br />　
<br />　
<br />　……とは書きましたが，ショーペンハウエルは「幸せを探すのではなく，不幸を避ける事がより幸福論的な行為だ」としています。幸せの形なんて人それぞれなのです。愛されることを望まないという代償を払ってまで二次元を愛するオタクの姿勢は，非常に潔いとも言えるでしょう。
<br />　
<br />　
<br />　それで幸せなら，それで良いのです。なんか重くなった。
<br />　
<br />　 ]]></content:encoded>
		<dc:subject>tagebuch</dc:subject>
		<dc:date>2009-08-24T20:06:32+09:00</dc:date>
		<dc:creator>chemiker　［aht］</dc:creator>
		<dc:publisher>DTI-BLOG</dc:publisher>
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		<title>頼れる人だね</title>
		<description>　
　
デキる人間が使わない言葉の一つに，「頼れる人」というのがあります。
　
要は人を（極力）頼らない，その上で頼る場合には必ず相利共生となるべく行動する，という一つの指針の現れです。片害共生は勿論，片利共生すら良しとしないスタンスで行動します。
　
では，何故頼る事を避けるのでしょうか。
　
</description>
		<content:encoded><![CDATA[ 　
<br />　
<br />デキる人間が使わない言葉の一つに，「頼れる人」というのがあります。
<br />　
<br />要は人を（極力）頼らない，その上で頼る場合には必ず相利共生となるべく行動する，という一つの指針の現れです。片害共生は勿論，片利共生すら良しとしないスタンスで行動します。
<br />　
<br />では，何故頼る事を避けるのでしょうか。
<br />　
<br />答えは簡単です。自分でやる事が糧になると知っているので，わざわざ他人を使わずとも自分の中で相利共生と同じ環境を作ろうと努力するからです。
<br />　
<br />反対に，頼りになる！とか連呼する人々は，彼らが努力する時間を「頼る」ことによって妨害します。そうしてデキる人は，「頼られるというのは片害共生だ」と認識します。結果，人の時間を奪う上に自身にとって利益とならない「頼る」といった行動を取らないのです。
<br />　
<br />安易に人に頼るという行動は，よくよく考えると双方に害としかならないのです。少し冷たいようですが，分かりよく言えばGive&Takeが世の常です。
<br />　
<br />ちなみに教師という存在はこの話とはまた別次元です。彼らは報酬を受け取った見返りに「頼られ」ているので，これは相利共生のパターンでしょう。
<br />　
<br />　
<br />頼らない努力，消極的努力ですが，かなり重要です。
<br />　
<br />　
<br />　 ]]></content:encoded>
		<dc:subject>tagebuch</dc:subject>
		<dc:date>2009-06-12T00:27:52+09:00</dc:date>
		<dc:creator>chemiker　［aht］</dc:creator>
		<dc:publisher>DTI-BLOG</dc:publisher>
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		<title>めんどくさい</title>
		<description>　
　人は皆めんどくさいのです。
　
　ところで，めんどくさいとはなんでしょうか。「皆めんどくさい」と書いたように，これを口癖とする人もかなり多いように感じるのですが，何故これほどまでに「めんどくさい」人が多いのでしょう？
　
　
　まず，めんどくさいという言葉が根底に含んでいる目的は以下の通りです。
</description>
		<content:encoded><![CDATA[ 　
<br />　人は皆めんどくさいのです。
<br />　
<br />　ところで，めんどくさいとはなんでしょうか。「皆めんどくさい」と書いたように，これを口癖とする人もかなり多いように感じるのですが，何故これほどまでに「めんどくさい」人が多いのでしょう？
<br />　
<br />　
<br />　まず，めんどくさいという言葉が根底に含んでいる目的は以下の通りです。
<br />　
<br />１．責任の回避
<br />２．行動の回避
<br />　
<br />　何といってもめんどくさいという発言には，「"自分にとって"どーでもいいよ」というニュアンスが多分に含まれています。選挙などが好例でしょう。このパターンだと，他者からは無責任というラベリングがなされ，更にどうでもよいと思っていたことが自分に多大な影響を与える事になる場合が非常に多いため，めんどくさがると損をする事が大抵です。
<br />　
<br />　後者はどうでしょうか。おそらく，こちらの目的で使う人が多数派だと思います。そしてこの用法で特徴的なのは，「めんどいけどやる」という消極的能動性の文脈で多用されるということです。これは諦めの表明であり，その点でのみ前者とリンクしますが，１と２では影響の可視性が格段に違うため，別物と考えて良いでしょう。
<br />　
<br />　
<br />　しかし，どちらの場合ももっと大事な要素を孕んでいます。目的ではなく，手段としての「どうでもいい」を見ると完全に一つの機能しかありません。
<br />　
<br />　それは「現在」を選択肢とし，これを選択する事の表明です。
<br />　
<br />　そしてその裏には，合理性への二重の拘束が有ります。
<br />　
<br />　ある程度知的に発達しているコミュニティにおいて説明を人に受け入れてもらう時には必ず，論理性の高さが必要です。即ち，現状維持を選択する事の表明にも合理的解説が求められるのですが，先に挙げた通り「めんどくさい＝諦念」という式が成立しているところからも推測できるように，現状の選択は理解されないという先入観が強いため，合理性万歳な人の他は説明を省略する傾向が強いのです。結果，「めんどくさい」のです。
<br />　
<br />　二つ目の拘束が，実はかなり重要なのです。行動しない事にも理由を求めてしまうのは，合理性を身に付ける様に作られた現代教育プログラムの結果です。何故なら，行動しないという選択自体"０"なのに，それが有因であると考える事がもはや錯誤だからです。合理的思考そのものは何ら咎められないのですが，形式的になってしまっては全く意味がなく，むしろ極めて有害です。「合理」に対する表面的な解釈しかできない人が多くいる事の証左として，「めんどくさい多用」の現象を捉える事が出来るでしょう。
<br />　
<br />　
<br />　書いていて難しいなーと思いました。（笑）
<br />　
<br />　結局キモは，「合理性の功罪」が，かなり身近な所にあるという事です。この視点から日常生活を眺めてみると実に多くの発見が出来るので，頭の片隅に置いて生活すると楽しいかもしれません。 ]]></content:encoded>
		<dc:subject>tagebuch</dc:subject>
		<dc:date>2009-06-01T02:41:39+09:00</dc:date>
		<dc:creator>chemiker　［aht］</dc:creator>
		<dc:publisher>DTI-BLOG</dc:publisher>
	</item>
		<item rdf:about="http://temptation.dtiblog.com/blog-entry-118.html">
		<link>http://temptation.dtiblog.com/blog-entry-118.html</link>
		<title>absolute principle</title>
		<description>　
　
タイトル的なモノは誰もが持っていて然るべきです。
　
自らに不利に働くことの方が多いので，公言する必要までは見出せませんが，確立した原理原則（言うても自分ルール）が有ると，時間的にも空間的にも無駄を省くことができます。
　
その適用に際しての基準が緩やかである事は良いのですが，absolute princi</description>
		<content:encoded><![CDATA[ 　
<br />　
<br />タイトル的なモノは誰もが持っていて然るべきです。
<br />　
<br />自らに不利に働くことの方が多いので，公言する必要までは見出せませんが，確立した原理原則（言うても自分ルール）が有ると，時間的にも空間的にも無駄を省くことができます。
<br />　
<br />その適用に際しての基準が緩やかである事は良いのですが，absolute principle自体に矛盾が有るようでは導出される結果も合理的にはなり得ません。
<br />　
<br />多種多様な考え方が有るとは言うものの，結局独創的と呼ばれるような発想があまり出てこず，思考が類型化できてしまうのはここに原因が有ります。
<br />　
<br />　
<br />さて，今日の本題は所謂本気とかいうものについて。
<br />　
<br />これを独自に定義するのは些か厄介なので辞書を引くと，
<br /><i>
<br />１ まじめな気持ち。真剣な気持ち。また、そのさま。「―を出す」「―で取り組む」</i>　（大辞泉）
<br />　
<br />特に定義上，普段使いと異なる事は無いようです。安心。　
<br />　
<br />本気が出ないという人が多くいます。しかし彼らの多くは，その理由を考えもせず，正当化事由には到底なり得ない「めんどくさいから」という訳の分からない言い訳の黄金律を振り翳します。この逃げ方については重要な効用が有るのですが，それは次回以降纏めてみようと思います。
<br />　
<br />本気が出ない理由というモノを，場面に応じて考えなければいけません。
<br />そうしないと，「やるべき事」「やりたい事」「やれる事」が混在してしまい，優先順位が不明瞭になり，従って精神的にも安定せず，同じ事を為すにもコストが高くつくからです。
<br />　
<br />本気になれない理由には以下のパターンが有ります。
<br />　
<br />１．本気になれる対象では無い
<br />２．本気になれる態勢では無い
<br />３．既に本気である
<br />　
<br />３の場合は問題ありません。（笑）
<br />然しこの分類は重要です。自分にかかって居る負荷を正しく認識していないと，同時並行する他の事はおろか，自身の身体や精神に過負荷を掛けているのを看過してしまうことに繋がり，非常に危険だからです。
<br />　
<br />　
<br />では１の場合はどうでしょう。これはさらに細分化できそうです。
<br />即ち，
<br />　
<br />１−１．本気になる必要のない対象である
<br />１−２．本気になるべき対象だが，見誤っている
<br />　
<br />前者であれば優先順位を落とすか，若しくはToDoリストから削除して終って構わないわけですが，後者だと大変です。しかもこういった例は意外な事にありがちなのです。本気が出ない理由を考える事が無い人自体先述の通り多いので，やはり何を為すべきかで混乱し，こういったミスを犯しやすくなるのでしょう。これを読んでいる方からすれば全く傍迷惑ですが，これを避ける事も大事です（ショーペンハウエルの幸福論にも同様の記述が有ります）。
<br />　
<br />　
<br />２を見てみましょう。
<br />これにもいくつか原因が有りそうなので細分化してみると以下の通りになります。錯誤は直前に論じたので割愛しましょう。
<br />こんな感じです。
<br />　
<br />２−１．身体および精神の健康が害されている
<br />２−２．相対的に優先順位の高い他の事象が有る
<br />　
<br />前者の場合は快復に本気を出すべきです。
<br />上の定義に従えば，無理をする事≠本気なので，努々取り違えないように。お大事に。
<br />後者も解決は楽そうですね。ただ，ここで所謂『甘え』が出てしまうといけません。めんどくさい症候群は，こういったところでも綻びを見せます。余りに自律して仕舞っては健康被害が出てしまいますが，そこをうまく甘えと区別する必要が有ります。
<br />　
<br />　
<br />以上で大体の類型化は出来ました。
<br />新たな話題として「甘えと自律」の関係が浮かび上がるところですが，ここは土居健郎著<a href="http://blog.livedoor.jp/jeffrey_kd/archives/361057.html" target="_blank" title="「甘えの構造」"><strong>「甘えの構造」</strong><span style="color:#0000FF"></span></a>あたりに譲る事にしましょう。有用なレビューが有るので，ハイパーリンクを著作名に張ってあります。宜しければご参照ください。
<br />　
<br />　
<br />　
<br />　
<br />さて，この記事を書くことの優先順位はどのあたりなのでしょうか。
<br />　
<br />※学部中間が二週間後
<br />　
<br />……僕もどうやらまだまだの様です。（笑） ]]></content:encoded>
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		<dc:date>2009-05-27T23:07:58+09:00</dc:date>
		<dc:creator>chemiker　［aht］</dc:creator>
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